コラム1
100 お金と人を見つめ続けて
FP(ファイナンシャルプランナー)という職業は常にお金の事を考えている。お金のことといってもお金儲けのことではなく、お金の使われ方のほうに関心がある。
お金の使われ方は正に人がどのように生きていくかを表している。この度 100 回目のコラムはお金と人の生き方を見続けてきた中で印象的な内容をいくつか取り上げた。
FP の過ち
FP(ファイナンシャルプランナー)という職種も 10 年前に比べると大分正しく認識されるようになった。かつては資産運用の専門家とか保険募集人の関連資格者と思われていた。今では FP による各種セミナーが開催され幅広くお金に関する専門家という認識が広まった。
FP が行うセミナータイトルに「知って得する○○、知らなきゃ損する××」を見かける。誰もが得することを好み、損することを嫌うと考えるFPの思い込みがある。損得は自分基準で利己主義の発想である。誰もが利己主義に徹して行動したらギクシャクした社会になるだろう。
また損得勘定は目先の損得を優先しているので、長い目で見ればその場の損得だけでは判断してはならないことは多い。
また FP がライフプランを立てる場合、養育費は一人当たり 2,000 万円と断定し、二人ならば 4,000 万円、三人ならば 6,000 万円必要と言う。専門家からこのような話を聞いて三人以上の子供を育てようと思う夫婦は少なくなるかもしれない。
二人くらい欲しいと思っていても一人で諦める夫婦もいるだろう。このアドバイスは少子化を促進し、子供を産み育てることをためらわせる事につながっている。
夫婦で豊かな老後を過ごすためには月額 40 万円必要である。年金が 20 万円であるならば、不足分20万円を今から貯蓄しよう。銀行預金では金利が低いので運用によって殖やすことを試みよう。こんなことを言っていたら若年者から見向きもされなくなるのは明らかであり、やがて世の中から必要とされなくなる。
現在の若年者は月額 20 万円を稼ぐことにも苦労し、老後の年金など受け取れないと感じている。貯蓄も少なく将来に不安を抱えている。
FP の役割は目先の損得感情を煽るのではなく、社会の仕組みを伝えると共に将来の不安が少しでも無くなるよう努力すべきではないだろうか。
理性で稼ぎ本能で使う
お金は人の労働により生み出される。人の持つ時間は限られているので、時間単価を高め長時間労働した人が多くのお金を取得できる。
またお金は株式の売買や配当から取得することが出来る。
利益の出ている株式を数多く売却すればより多くのお金を取得することになる。このようにお金を稼ぐことは掛け算によって計算される。
一方、お金を使う場合はどうだろうか。何日も食べずにいたら空腹で死んでしまう。生存するためには食べずにはいられない。同様に暑さや寒さ対策として衣服で調節し建物の中で雨風をしのぐ。人は生存するために欲求に基づいた行動を取る。
欲求は本能の指令に基づき湧きあがってくる。人の中にある欲求は他の動物に比べ深く限りがない。
現代社会は欲求の充足にはお金が必要である。湧き上がる欲求を全て満たそうとしたらお金はいくらあっても足りない。本能のままに身を任せればお金によって身を滅ぼすことになる。理性で考え計画に基づき行動できる
のは人間だけである。計画がなければ動物と同様に本能によって日々を過ごす。
本能による欲求は常に理性に優先して現れる。疲れていたり不安を感じているときは特に本能による行動が多くなる。本能を押さえ込むにはしばらく放っておく時間が必要である。時間が経てば先ほどまでの欲求は収まり冷静に考えることが出来る。
冷静になって行動する指針となるのが「ライフプラン」である。またライフプランは暴走しようとする自分を落ち着かせる役割を果たす。
お金と幸せは比例しない
年収 3,000 万円の人が年収 300 万円の人より 10 倍幸せとはいえない。どんなに稼いでも派手に消費すればストックがなくお金に追われる生活になる。それでは資産が 5,000 万円の人が資産 500 万円の人より 10 倍幸せかといえばそうでもない。
人がお金で得ようとしているものは、決して物ではなく人生の幸福に違いない。世の中の多くの物はお金で得ることが出来る。だから誰もがお金を欲する。
しかし、お金と幸福度は一定金額までは比例するが、その水準を超えるとお金が増えても幸福度は高まらないと言われている。
人生を明るく豊かに過ごしたいと誰もが願うことであるが、豊かさをお金の量と限定しているように思える。生活するためにお金は必要であるが、多ければ余計な物を買い、やがて物が溢れ居場所が狭くなる。物に対する幸福度は取得した時点がピークであり時間の経過と共に減少していく。
お金で幸福度を高めるには「物」より「事」に使い、「自分」より「他人」に使ったほうが高い効果があると言われている。ここでも他人に使う金額の多寡に関係なく、他人からの感謝を期待することなく、自己の他人に対する行為で自分自身が幸せになるらしい。
お金を他人のために使うことを「投資」というならば、「投資」はお金ばかりではなく自分の時間を他人のために使うことも同様である。
投資というとお金儲けの手段と受け取られるが、相手への応援や施しと思えばリターンがあろうがなかろうが気にすることではない。寄付と同じ感覚である。
仕事だけが生き甲斐じゃない
定年退職した男性が急に老け込むことがある。一日中家で過ごし、出かけるのはペットと散歩くらいである。現役時代は日々の仕事に追われ報告・連絡・相談の毎日であり、誰もいない電話もつながらない南の島に行きたいと思ったかもしれない。
定年を迎え静かに過ごせると喜んでいたら、誰からも連絡がない。朝起きて新聞を読んで昼食をとり、散歩に出かけたら夕飯を食べて寝るだけで 1 日が終わってしまう。
サラリーマンの場合定年があるので本人の意思に関わらず会社を辞めなければならない。忙しく追われた毎日であったが、仕事が生き甲斐であった。その生き甲斐が奪われるのは酷なことである。
一方自営業者には定年がない。身体が健康で仕事が出来る限りはいつまでも続けられる。サラリーマンから見れば羨ましいかもしれない。
仕事が生き甲斐と感じている人は男性に多いだろう。仕事を通じてお金を稼ぎ、取引先を通じて仲間ができ、役職に就けば名誉が生ずる。このような人はサービス残業も休日出勤も喜んで行う。寝食以外の自分の時間は全て仕事に捧げることを美しいと感じる。
配偶者や家族に対しては仕事だからしょうがないと言っていることだろう。一生働き続けて、休んでいると気が付くのは病院のベッドの上であったら、良い人生だったと心から思えるだろうか。出来なかったことが今生の終わり間際で浮かんでも、いまさら取り返しは付かない。
欧米では夏には 1 ヶ月ほどバカンスを取る習慣がある。1 年間一生懸命働くのはバカンスを楽しむためであるという。どんなに繁忙期であっても、客のためより自分と家族のことを優先する。人生を楽しむために十分なお金があれば、他は無用なお金となるのだろう。
長野日報土曜コラム 平成 26 年 12 月 27 日掲載
有限会社テヅカプラニング 手塚英雄